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仙台地方裁判所 昭和39年(ワ)370号 判決 1967年4月28日

原告 定雄こと引地定夫 外一名

被告 丸森町

主文

被告は、原告らに対し、各二〇万円とこれに対する昭和三九年四月一五日から各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを五分し、その二を被告、その余を原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告らに対し、各五〇万円とこれに対する昭和三九年四月一五日から各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、請求原因として、

(一)  原告らは夫婦で、その間に三人の子供がある。訴外晃一は昭和三三年七月四日原告らの末子として生れたが、同三九年四月一四日午後三時二〇分ころ、宮城県伊具郡丸森町筆甫字宮脇三四番の三にある筆甫公会堂の敷地に設けられた鋼鉄製ブランコ(以下本件ブランコという)に乗つて遊んでいるうち、その支柱が倒れて頭部を強く打つたため即死した(当時五才九月)。

(二)  この公会堂は地方公共団体である被告が住民の用に供するため所有管理している公の営造物である。

また、その敷地にあてられている筆甫字宮脇三四番の三宅地一五〇坪は、訴外丸森町筆甫森林組合の所有であるが、被告が占有管理しているものである。すなわち、右宅地は、もと訴外高橋朝治の所有地であつたが、昭和二九年三月ころ旧筆甫村が公会堂を建てるため、その所有の字東山三番の山林を代替地として同訴外人に与え、右訴外人からこれを譲り受ける契約をして引渡しを受け、旧筆甫村は右宅地上に公会堂を建てた。しかし、右宅地に設定された抵当権の抹消ができないため、互に所有権移転登記手続をしないでいるうち、同二九年一二月一日旧筆甫村は被告と合併した。右合併に際し、旧筆甫村は、その所有山林を村民の財産として残すことを考え、村民が組合員である丸森町筆甫森林組合に無償で払下げることとし、訴外高橋に代替地として与へることにしていた山林も同組合に所有権移転登記手続をしてしまつた。そこで訴外高橋は右組合と交渉の結果前記代替山林を組合から譲受け、公会堂敷地の所有権を組合に譲渡し所有権移転登記を経由したのである。しかし、以上の経緯から、組合は被告に右宅地を公会堂の敷地としてその占有に委ねていたのである。そして旧筆甫村が公会堂を建てた当時から、その敷地は隣接地から道路と石垣と山でさい然と区別され使用されてきたもので、被告の管理の及ぶ範囲はこの敷地全体である。なお、公会堂周辺の石垣は公会堂が建つてのち旧筆甫村によつて作られたものである(公会堂とその敷地の範囲については別紙<省略>略図(一)参照のこと)。

(三)  本件ブランコは、昭和三八年九月ころ訴外丸森町社会福祉協議会(以下単に福祉協議会という)が、その資金で製作し被告に寄附したもので、福祉協議会から工事を請負つた訴外今野正吉によつて同年一二月一二日ころ被告の指示に従つて右公会堂敷地内の東側空地上に設置され、これによつて被告が引渡を受け地域の子供達に使用させるため被告の所有管理する公の営造物となつたものである(ブランコの設置された地点について別紙略図(一)の表示参照のこと)。

本件ブランコの構造は、長さ約三メートルの鋼鉄製パイプを横棒として、高さ約二メートル五〇センチの鋼鉄製支柱各二本でその両端を支え、三つの振子を備えたものでその形態は別紙略図(二)のとおりであるが、これを地上に設置固定するには両端各二本宛四本の支柱は深く地中にうずめ、その周囲をコンクリートで固定させなければ、児童が使用するばあいは倒れる危険があるのに、単に各支柱を地中にわずか一五センチメートル程度うずめただけで全く安定性を欠く状態で置かれたにすぎなかつた。そして、右敷地内に設置された昭和三八年一二月一二日ころから前記事故当時まで、そのままの状態で放置されていたのである。

したがつて被告にはブランコ自体についての設置保管上の瑕疵がある。

(四)  仮りに、ブランコ自体は福祉協議会の所有であつて、被告が所有管理する公の営造物とはいえないとしても、子供達の遊び場となることの多い公会堂敷地内に遊び道具であるブランコを置くことに同意し、さきに述べたような危険な状態のまま長期間放置していたことは、公会堂とその敷地の管理上瑕疵があるといわなければならない。

(五)  訴外晃一は本件ブランコに乗つて遊んでいるうち、鋼鉄製の支柱が倒れて頭部を強く打つたため即死したのだから、被告は本件ブランコ自体の所有管理者としてさきに述べたようなその設置保管上の瑕疵により、あるいは少くとも敷地の管理者としてその管理上の瑕疵により、晃一の死亡につき損害賠償の責を負うべきである。

ところで、原告らは訴外晃一の父母であるから、民法七一一条により同訴外人の遺族として被告に対し慰藉料請求権をもち、その額は諸般の事情を考慮すれば原告ら各自についてそれぞれ五〇万円を下らないものである。

よつて原告らは、被告に対し、原告ら各自に対し各五〇万円およびこれに対する晃一死亡の翌日である昭和三九年四月一五日から各支払い済みまで年五分の割合による損害金を請求する。

と述べた。

被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、

(一)  原告ら主張の(一)の事実は、本件ブランコの置かれた場所が公会堂の敷地であるとの点を除き認める。本件ブランコの置かれた場所は後記のとおり公会堂の敷地の範囲外である。

(二)  原告主張の(二)の事実は、公会堂の敷地の範囲、筆甫字宮脇三四番の三宅地一五〇坪の所有権が訴外高橋朝治から訴外丸森町筆甫森林組合に移転した経緯を除き認める。右宅地一五〇坪は、訴外高橋朝治から旧筆甫村に譲渡され、旧筆甫村が被告に合併する際訴外丸森町筆甫森林組合に譲渡されたが、所有権移転登記は高橋から訴外組合に対し直接なされたものである。公会堂の敷地は、右宅地のうち建物の建つている一〇五坪の部分に過ぎない。右宅地のうちその余の部分は後記のとおり訴外丸森町筆甫森林組合が訴外宮城酪農筆甫組合に貸与しているものである。

(三)  原告主張の(三)の事実は原告主張のころその主張の場所に本件ブランコが置かれたこと、本件ブランコの構造、形態が原告主張のとおりで福祉協議会によつて、訴外今野正吉に請負わせて作成されたことはいずれも認める、がその余の事実は否認する。本件ブランコは被告の所有管理するものではない。また本件ブランコの置かれた公会堂東側の空地は、公会堂の敷地ではなく所有者である訴外筆甫森林組合が訴外宮城酪農筆甫組合に牛の削蹄所設置のため貸与しているもので、被告の管理の及ばない部分に属する。

(四)  原告主張(四)の事実は争う。

本件ブランコは、福祉協議会がその設置場所を選定する都合上原告ら主張のころその主張の場所に一時的に置いていたにすぎず、ブランコ自体の所有管理の権限は福祉協議会にあり、その置かれた土地の所有管理関係がさきに述べたようなものであるのだから本件事故について被告に責任はない。

(五)  原告主張の(五)の事実中損害額の点は争う。

と述べた。

立証<省略>

理由

(一)  原告らが夫婦であつてその末子訴外晃一(昭和三三年七月四日生)が、昭和三九年四月一四日午後三時二〇分ころ宮城県伊具郡丸森町筆甫字宮脇三四番の三にある筆甫公会堂の東側空地に置かれた本件ブランコに乗つて遊んでいるうち、その支柱が倒れて頭部を強く打つたため即死したことは当事者間に争いがない。

(二)  原告らは本件ブランコの置かれた公会堂東側の空地は公会堂敷地の一部であつて被告の管理する範囲に属するものと主張し、被告は、敷地として使用しているのは建物の建つている部分に限られ、原告ら主張の東側空地は被告の管理の及ばない部分であると抗争するので考える。

筆甫公会堂が、旧筆甫村によつて住民の用に供するため建築され、同村が昭和二九年一二月一日被告に合併されるとともに被告に承継され、被告によつて所有管理されて住民の用に供されている公の営造物であること、公会堂のある字宮脇三四番の三宅地一五〇坪が、もと訴外高橋朝治の所有で、旧筆甫村が公会堂を建築する際にその敷地とするため字東山三番の村有山林を代替地として同人に与えて譲受ける契約をして引渡しを受けたものであること、右宅地については、同訴外人から訴外丸森町筆甫森林組合に所有権移転登記がなされ、現在訴外組合の所有であること、別紙略図(一)記載のとおり公会堂周辺にある石垣は公会堂建築後旧筆甫村によつて作られたものであること、以上の事実は当事者間に争いがない。

証人木皿太郎、一条精一の各証言によると、前記の旧筆甫村が訴外高橋に代替地として譲渡を約した村有山林は、他の同村所有の山林とともに同村が被告と合併する際に訴外丸森町筆甫森林組合に払下げられたので、旧筆甫村、訴外高橋、訴外組合三者で話合いの結果、右代替山林は訴外組合から訴外高橋に譲渡し、字宮脇三四番の三宅地一五〇坪は訴外高橋から訴外組合に譲渡することとして前記のとおり訴外高橋から訴外組合に所有権移転登記がなされたものであることが認められる。

さらに、検証の結果によれば、本件公会堂はその南側を町道と石垣により、西側を側溝により、北側を山すそと石垣により、東側を石垣により隣接地からさい然と区切られた東西に約三六メートル、南北に約一六メートルの土地上に、東側に東西約五メートルの巾の本件ブランコのあつた空地を残してほぼ一ぱいに建てられていて、高低のはげしい四囲の土地とは対照的に一つの敷地として整地されていることが認められる。以上の認定事実と成立に争いのない甲第四号証とを併せ考えると、右の東西約三六メートル、南北一六メートルの土地全体が公会堂を所有、使用するための敷地とされ、右土地が訴外組合の所有となり、公会堂が被告に承継されて後も、訴外組合から暗黙の了承のもとに被告の使用管理に委ねられ、したがつて本件ブランコのあつた東側の空地も被告の管理下にあつたものとみるのが相当である。

右土地の所有権が訴外筆甫森林組合にあること及び右検証の結果により認められる右空地北側に被告のいう削蹄杭が設けられている事実を考慮してもいまだ右認定をくつがえすに足りず、証人木皿太郎、同宍戸八郎治、同大槻勝男の各証言中被告の管理する敷地の範囲は公会堂の建物自体の建つている部分だけであるとの点はたやすく信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  原告は、その主張のころ福祉協議会が被告に本件ブランコを寄附し、その主張のころブランコが公会堂敷地上に設置され、被告がブランコそのものを所有管理し子供達の利用に供するようになつたものであると主張し、本件ブランコが福祉協議会の資金によつて訴外今野正吉に請負わせて作成されたものであることは当事者間に争いがないが、福祉協議会が被告に本件ブランコを寄附したことはこれを認めるに足りる証拠はない。もつとも成立に争いのない甲第二号証および甲第四号証によれば、昭和三八年一二月一〇日ころ被告の厚生課社会係長宍戸八郎治から被告の筆甫出張所社会係引地千七に対し、筆甫地区にブランコを設置する旨の電話連絡があり、その際宍戸と引地との間で設置場所は筆甫公会堂東側空地とすることに意見が一致し、引地はその日のうちに被告から公会堂の監視人を委嘱されている佐藤勇助をともなつて設置予定場所を現地で指示し業者がブランコを運搬してきた際にはその据付に立会うよう依頼した事実が認められるが、右のことは、証人大槻勝男、同宍戸八郎治、同大内真光の各証言ならびにその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第四号証および証人大槻勝男の証言によりいずれも真正に成立したと認められる乙第五、六号証によると、被告と福祉協議会は別個の法主体で、右宍戸および引地はいずれも被告の職員ではあつても同時に福祉協議会の職員をも兼務していて、福祉協議会の職員としての立場で行動したものとみるほかはなく、それ以上被告が本件ブランコの寄附をうけたとか設置後その管理を委託されたとかまでは認めるに足る証拠はない。

(四)  しかし、本件ブランコの置かれた土地が従来被告の管理する公会堂敷地の一部であることはさきに認定したとおりであるから、被告は公共用物たる公会堂およびその敷地の管理者としてその敷地上にあるブランコによる本件事故につき責任があるかどうかが検討されなければならない。

本件ブランコが公会堂敷地に置かれるようになつた経過はさきにみたとおりであり、被告と福祉協議会とは別個の法主体で訴外宍戸八郎治、同引地千七は、本件ブランコの設置については福祉協議会の係員として行動したとみるべきことは前述のとおりであるとしても、証人宍戸八郎治、同大槻勝男、同大内真光の各証言および乙第四号証により認められるように、被告は住民の福祉をはかるという点で福祉協議会に対し指導育成する立場にありそのような関係から物的人的施設の十分でない福祉協議会を助成するため被告の職員が福祉協議会の職員を兼務しその事務を処理していて、両者には密接な協力関係があるのであるから、もともと被告の職員でもある宍戸と引地が具体的なブランコ設置場所として被告の管理する筆甫公会堂敷地を選定し、引地は公会堂の監視を委嘱されている訴外佐藤勇助にその場所を指示し設置の際の立会を依頼しているのであるから、ブランコが敷地内に設置されることには被告は同意していたものというべきである。この点で証人宍戸八郎治の証言および成立に争いのない甲第三号証中ブランコをどこに置くかは予め具体的にはきめられていなかつた旨述べる部分は前示甲第四号証と対比してたやすく信用することはできない。

ところで、本件公会堂やその敷地は、一般住民の用に供されるものであるから、被告は、住民が安全にこれを使用できるようその設置、保存について注意すべき管理上の責任を有するものである。本件公会堂やその敷地がこれまで子供達の遊び場になつていたと認めるに足りる証拠はないけれども、検証の結果によれば、公会堂附近は人家はまばらであるとはいえ、その敷地南側は町道に面していてその南方約一五〇メートルの地点には筆甫小学校があり、敷地東側のブランコの置かれた場所は町道からよく見えてそのうえ敷地内に立入ることは子供にとつても容易であることが各認められるのであつて、そこに子供達の恰好の遊び道具であるブランコが設けられれば、子供達が敷地上に立入り競つてこれを利用することは容易に予測されるところであるから、敷地の管理者である被告としては、そこに持ちこまれるブランコについて、その設置ならびに保管上子供達に危険が及ぶことのないよう十分に意を払う必要がある。すなわち構造上使用することが危険なばあいには福祉協議会に対しブランコの設置自体を拒否し、撤去させ、あるいはその据付けに欠陥があるばあいにはこれを完全ならしめ、完全になるまで子供達が使用できないような適宜の措置をとるなどして敷地の安全をはかるべき管理上の義務があるものといわなければならない。

本件ブランコの構造、形態が原告ら主張のとおりのものであることは当事者間に争いがなく、前示甲第三、四号証と証人宍戸八郎治の証言によれば、本件ブランコは、その据付けを福祉協議会から訴外今野正吉に請負わせ、訴外今野はこれを訴外引地留三郎に請負わせたものであるところ、訴外引地は昭和三八年一二月一三、四日ころ本件ブランコを公会堂敷地内の東側空地に運び込んで地上に立て置いただけで据付工事をしないでいたこと、したがつて、本件ブランコは倒す気になれば倒れる程度の状態であつて、はじめ振子の部分は上部支柱にしばりつけられていたけれども、間もなく何人かによつてほどかれ、子供達がしばしば使用するようになつたにもかかわらず、何ら手を加えられることもなくそのままの状態で本件事故当時まで放置されていたことが認められる。

そうだとすれば、本件ブランコは、その構造、形態上、土地に据付け固定するのでなければ、子供がこれに乗つて遊ぶばあい倒れて乗つている子供は勿論、かたわらにいる子供にも危害をおよぼすおそれがあるのに、被告は福祉協議会が筆甫公会堂敷地上に長期間危険な状態で本件ブランコを放置していたのを看過して、敷地の安全を確保する手段を採らなかつたものというべく、結局被告には公共用物である公会堂敷地の管理のうえで瑕疵があつたといわなければならない。従つて被告は訴外晃一の死亡について責を免れないところ、原告らが訴外晃一の両親として、その死亡により精神的苦痛を受けたことは想像に難くないから、被告は原告らに対し、慰藉料を支払うべき義務がある。

(五)  そこで、原告らに対する慰藉料の額について判断する。

訴外晃一が原告らの三人の子のうちの末子で昭和三三年七月四日出生したものであつたことは当事者間に争いがなく、原告引地定夫本人尋問の結果によると原告定夫は大正六年一月六日生れで原告いはほとは昭和二三年に結婚し比較的晩婚であること、田二反歩、畑四反歩、山林三町歩を所有して農業を営み、丸森町の農家としては中流の生活を営むものであることが認められ、これらの事実と本件記録にあらわれた諸般の事情を考慮するときは、慰藉料は原告ら各自について各二〇万円と認めるのを相当とする。

(六)  よつて原告らの本訴請求は、被告に対し各二〇万円と晃一死亡の翌日である昭和三九年四月一五日から支払済まで右各金員に対し民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから右限度でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法八九条・九二条・九三条を各適用し、仮執行宣言については相当でないからこれを付さないこととして主文のとおり判決する。

(裁判官 石井義彦 阿部哲太郎 鈴木一美)

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